jhunshouの ことわざ日記

哀哀たる父母 我を生みて 苦労せり

哀哀(悲しくて あわれなさま)

お気の毒に、父母は私を生み、育てるのにいろいろ苦労されたことだ。

 

このことわざは、中国最古の詩編で、父母の期待にそむいた自分を責めている蓼峩の詩の一節だそうです。

 

もうそれなりの年をとったので、お迎えが来ないうちに、自分を生んでくれた父母の気持ちを考えてみたいと思ったりしました。

 

私の父母がどういう気持ちで自分を生んだのかは、知ることができないので、「ことわざ」の意味にあわせて考えてみることにしました。

 

私は 本を読みだすとすぐ眠くなるタイプの人なので、この詩を深堀して調べることはやめて、そのまま解釈することにしました。

 

読んで字のごとくで、親の期待に沿えるような人間に育たなかったと自分を責めていると、解釈して考えてみました。

 

もし、父母が全てにおいて立派であったので、父母のような人間に育たなかったことを自分で自分を責めていると解釈したらどうなるのか。

 

もし、そういう親ばかりだったら私はもちろん、自分を責める人だらけのような気もしますよね。

 

世の中に、事業家の人、アスリート、宇宙飛行士、芸能人など成功している人が相当いますが、全部が全部親の希望される進路ではなかったようなんですね。

 

自分の意志がすごく強くて、自分の目標を変えずにやってきた人は結果的に成功しているんですね。

 

本人がやりたいことを妨げる要因には、時には親もそれに該当することもあるけど、友達、会社の上司、教師、周りの人々いろいろあるようです。

 

それが、妨げようと思ってやっている事ではなくて、良かれと思ってやっていることが、知らないうちに無意識のうちに妨げになっているんですね。

 

「跳ばなくなったノミ」という例が、モチベーションを高めるための本に書いてあったので紹介してみます。

 

ノミを知らない人も多いと思いますが、私の子供の頃は本当にいっぱい居ましたよ。

かまれたら、かゆくてかゆくてたまりませんから。

 

大体は、つぶして退治することしか方法が無かったので、必死になって追いかけまわして捕まえて、両方の親指の爪の間で「プチッ」とつぶして いましたね。

 

そのノミの跳び上がる能力は、大体50㎝位あるそうです。

 

私はそれを計ったことは無いですが、子供の頃の感じでは、ものすごく跳び跳ねていてそれくらいは十分に跳んでいたような気がします。

 

ノミの体が5ミリで計算したら、自分の体の100倍飛べるということですよね?

私は計算が苦手なので、間違っていたら訂正してくださいね。

 

そのノミを、50㎝の高さのガラスの箱に入れて観察していると、持っている跳躍力でその箱から飛び出そうと箱の高さギリギリまで、何度も何度も飛び上がるそうです。

 

その途中で、高さ30cmの所にガラスの板で仕切ると、ノミは50㎝跳び上がる能力があるのでガラスの板に頭をぶち当てながら、何十回も何百回も跳び上がるそうです。

 

本当によく観察したもんだなぁと思っています。

 

その内に、ノミは30cmの仕切り板に頭をぶつけないように跳ぶようになるそうです。

 

その状態になった時に仕切りいたを取り外しても、ノミはそれ以上跳び上がろうとしないそうです。

 

まだ50㎝跳び上がる能力があるのに、跳び上がろうとしないそうです。

 

もう、跳び上がる挑戦をしなくなったんですね。

 

人間の世界でも、それが確かにありますよね。

 

子供の頃は、子供が何かしようとしたら親が「こうしたら駄目」「あぁしたら駄目」。興味をもって何かやろうとしても「それよりも、こうした方がいい」。

 

楽しくてうれしくてやっている遊びの中で、少しでも危ないと思ったら「やっちゃダメ」で止められてしまう。

 

社会の中でも、仕事の仕方で「こうした方が効率がいいのでは?」と考えても、他の人と違う考えは否定されてしまって、何も考えずにやった方が楽だと思ってしまう。

 

もう40年位前に、日曜発明学会の会員になっていた時、特許や実用新案、商標登録などの勉強会があり、福岡まで出かけたことがあります。

 

主婦の方や若い女性の方が多かったのに驚きました。

 

あとで考えて思ったんですが、その当時はまだ家事は女性がやるのが当然視されていて、炊事・洗濯・掃除に休む間もなかったと思います。

 

美味しい料理を手早くできる調理グッズ、炊事・洗濯・掃除の便利なグッズを考えてきたが実用新案として申請できないかなど、かなりの数相談されていました。

 

その内の4~5件は、一部手を加えれば実用新案に認められるとアドバイスされていました。

 

私が子供の頃は、田んぼを耕すときは鋤(スキ)という土をひっくり返す道具を牛に引かせて、耕していました。

 

その土を細かく砕く時は、飛行機の両翼に似た形の木製角材に、なぎなたのような形の刃を取り付けた飛行機マガを、牛に引かせて細かく砕いていました。

 

飛行機マガには人が乗って、重さを加えて使うように作ってあります。

 

父親がその仕事をする時に、それに乗せてもらうのが子供の頃の楽しみでした。

 

この頃(昭和30年)から次第に機械化が進んで、鍬や飛行機マガが姿を消して、耕運機が主流になってきました。

 

私が高校を卒業する(昭和38年・1963年)頃から急激に近代化が進み、子供の頃からは考えられないような高度成長期に入りました。

 

これはすべてについて、新たな発想、基礎研究、工夫、改良を加えながら走ってきた、先人の方たちの努力の賜物だと思います。

 

形にとらわれない自由な発想、貧富に関係なく学べ、それを生きがいとして伸ばせる社会になれば良いですよね。